私の罪悪感

使っていない参考書や後ろ数ページの余ったノートがあること。

有益な情報の多い、けれどもう必要のない資料集を古紙回収に出すこと。

図書館でも借りられる本を買うこと。

買ったCDを聴かないこと。

買ってもらったDVDを観ないこと。

電気や水を無駄遣いすること。


そして、お金を使うこと。


これら全てに、罪悪感を感じる。

 

なぜ。と考えて気がついた。

 

ああ、私は、

 

泣きそう

 

中学に行かなかった罪悪感が、全ての根底にあるんだ。

 

小学校受験して、中学校受験して、学校に行かなくなって、勉強ができなくなって。

*1

こんな私が、って常に考えちゃう。

 

「お金のかからない子だね」「手間のかからない子だね」って、言われたい。

人の邪魔をしたくない。迷惑をかけたくない。

 

 

 

中学校に入って 少し経った頃、副校長がこう言った。


「あなた方の席に座りたかった人は沢山います」


私は、体操座りをしながら、青い床に視線を落とした。

 

中学受験を一緒にした友達は、何人も不合格だった。

ある子は、「私の努力が足りなかったんだね」と笑った。

ある子は、滑り止めの中学に入ってから荒れて、退塾処分になった。

ある子は、家庭の金銭事情からか、滑り止めさえ蹴って公立へ行った。

 

私が心底嫌った中学に、行きたかった人を知っている。

もし、私が入試で落ちて、あの子が受かっていたら、今頃どうなっていたのだろう。

 

仮定の話をしたって仕方がないのは分かっているけれど。

 

5年も前のことなのに、今でも私は縛り付けられている。

 

 

今通っている高校は、すごく楽しい。

高校のシステムが私の気質に合っているし、先生や友人にも恵まれた。

受験勉強だって、どうにかなるよう足掻いてる。

 

それでも。

 

私の過去は過去のまま、消え去りはしない。

 

 

*1:私は、「不登校」という言葉を使いたくないので、「学校に行かなくなった」という表現にしています。

不登校」の子どもたちには、それぞれの事情や考え、思いがあります。

学校に行かない選択をした人。行きたくても行けない人。行きたくない人。行くのが怖い人。学校に行っていなくても元気な人、元気じゃない人。

この全てを「不登校」という一言で括っては、大切な何かが見えてこなくなると思います。

この記事と直接的な関連はありませんが、注釈でした。