TOKYO GIRLになります / ありふれた青春
ご無沙汰しております。
昨年5月の記事を最後にして10カ月ぶりの更新ですが、相変わらず眠れぬ夜にフリックを走らせています。
題にあるように、大学受験に成功したので4月1日から東京の大学生になります。念願のTOKYO GIRLです。
現在は3月なので身分としては高校3年生でありながら卒業式は終えていて学校に居場所はありません。家の荷物も整理をして入寮のための準備は着々と進んでいます。
この梅は咲いているが桜はまだという季節にしか書けない気持ちを今回は綴ります。
後から振り返ってノスタルジックに浸るために。
この10カ月間は大学受験勉強に励みながらも青春を謳歌していました。
自習室に貼られた共通テストまでのカウントダウンに背を向け、今だけの景色を感受していました。
友達と笑って、家族にムカついて、先生の前で泣いて、クラスメイトに嫉妬して、部員を心配して、好きな人と手を繋いで。
いろんな感情がありました。
だけど、それら全てが今しか味わえない感情だから「青春だなぁ〜!」の一言で終わる気がしていました。
みんなの顔を見て安心したオンラインHR。
アクエリアスを片手に着た浴衣。
文化祭の垂れ幕に掲げたピースサイン。
課外授業の帰りに作った雪だるま。
今日現在の私は、過去の私と未来の私が少しだけ羨ましいです。
今の私は、青春してるだろうか?
未来の私は東京にいます。
私立最難関と言われる大学の文学部で好きなことを学び、チープな学食でお腹を満たし、自室は狭いけども安心安全な寮で眠り、電車に揺られてショッピングに出かけます。
田舎とは比べ物にならない大きな街に住みます。
星空を眺めたいです。一刻一刻と変わっていくものだから。
お花を飾りたいです。生きているものに触れたいから。
それから本当は、私のヒーロー、4人のNEWSと5人の嵐に今すぐ会いたいです。これは言っちゃいけない願いでしたかね。
私の人生に区切りをつけるとしたら間違いなく「今」でしょう。
しかし、人生において別れは必要なものなのですか?卒業はしなければいけないのですか?
私は嫌です。さみしいです。
高校が大好きだった。本当に。
私は中学が嫌いだったから、高校に入って初めて友達を心から好きだと思えた。
先生の授業が楽しいと思えた。
好きな人が「ずっとこのままやったらいいのにね」と言った。
毎朝腹痛がして、毎晩頭痛がしていた日々だったけれど、それでも楽しかったんです。恵まれた3年間でした。
「ありがとう」は別れの言葉だと思います。
@ SHIBUYA SKY
受験直前にプレイリストを開いたらそこには東京への憧れが敷き詰められていて苦しくなりました。
不合格ならば全て塵になる夢だったから。
だけど、今の私もこれらの曲を再生する勇気が出ません。
受験勉強をしている間は「現状」を憎み地元を離れたくて仕方がなかったのに、いや今もそれは変わっていないけれど私にも人並みの故郷への思いがあったのだなと。
夢に出てくるのは高校のことばかりだったり、
友逹との思い出の詰まったアルバムを作ったり、
無性に誰かと話したくなって電話をかけたり、
小学生の頃の恩師に会う約束を取り付けたり、
インスタのストーリーをやたらと更新したり。
好きな人たちに構ってほしくて足掻いてます。
部活の顧問の「卒業おめでとう!新しい日々が始まります。未来に幸あれ✨」というメッセージに抗おうとしているみたいです。
新しくしなくていい、今を過去にしないでほしい。
3月1日の卒業式からもう12日が過ぎました。何も輝くことのない12日間だったように感じます。学校に行っていないので。
別れ。さみしさ。悲しさ。不安。緊張。
ありふれた卒業ソングみたいで笑っちゃう。
だけど、私たちは階段を上らなければなりません。
上からしか見えない景色があるはずだから。それがどんなに綺麗か、どんなに汚れているか、この目で確かめに行かないと。
こうやって駄文を生産しているこの瞬間のことを未来の私はきっと「青春だな〜!」と笑い飛ばすのでしょうね。
捨てられない宝物の記憶。
東京にいる未来の私へ
今という瞬間をどうか覚えていてね。