赤い下敷き

割れた。

 

喧嘩の声は聞こえていた。

ケチャップでもこぼしたのかなって思った。

割れてた、私の、大切なもの。

 

 

小学校低学年から、ずっと私はこの赤い下敷き一筋だった。

音符が踊るファンシーなものにも、英字の入ったオシャレなものにも、私は惹かれなかった。

私の赤い下敷きは、100均では手に入らない。小学校では、誰ともかぶらない。

 

私は、勉強ができた。

3歳からの塾通いすら、楽しむような子どもだった。

ずっとずっと成績優秀。学校では先生にあからさまな贔屓をされた。贔屓はもちろん嫌だったが、私自身どこかで「頭のいい自分」に酔っていたところがあったのは否定できない。

その具現化が、「赤い下敷き」である。

 

赤シート。それは、並の小学生が知らない言葉。

だけど、私は本屋さんにある参考書にそれが挟んであることを知っていた。

進研ゼミから届くDMは、赤シートだけ保管して、その他はばっさり捨てていた。

 

私の下敷きは、赤鉛筆で書いた文字を隠すことができる。

目にかざせば、世界を赤一色にすることだってできる。

 

仲良くしてくれていた男の子が、私の下敷きを気に入って遊んでいたことを思い出す。

鉄板の、静電気で髪の毛を立たせる遊びもした。

夏の暑い日に、先生から隠れて下敷きで扇ぎあったこともあった。(目に入ると危ないとの理由で、下敷きで扇ぐのは禁止されていたのだ。)

 

学校でも塾でも、赤い下敷きを使っていた。筆箱は、鉛筆とシャーペンで使い分けていたのに、下敷きだけは、赤いランドセルから黒いリュックに健気に移し替えていた。

 

下敷きの硬さが最高で、私は下敷きがないとノートを書けない人間になっていった。

 

私は、私の赤い下敷きが大好きだった。

 

私の相棒は変わらなかった。

高1の5月までは。

 

ただの弟たちの喧嘩で、呆気なく、私の大切な、大切な赤い下敷きは、割れた。

私がここまで積み上げてきたもの。

中学受験。高校受験。クラスメイトへの優越感。成績。先生からの信頼。勉強の楽しみ方。

私が、生きてきた証。

 

だけど私は、弟たちに、大切なものなんだ、と泣き叫ぶことはできなかった。

 

近所の文房具店に行った。

赤色の下敷きは、もちろん売られていた。

しかし、それは、私のものより、やわらかかった。ふにゃふにゃと音を立てるそれは、私の頑固さを笑っているようだった。

仕方なく、私はそれを買った。

 

目にかざしたときの、世界の濁り具合が全然違う。

扇いだときの、風の強さが全然違う。

 

元には戻らない、私の、赤い下敷きよ。

 

高校生の私は今、勉強ができない。