人に自分の文章を読まれることが、こわい。
人に自分の文章を、読まれるのがこわい。
こわくて、毎日はてなブログのアプリを開いて、アクセス解析を確認してしまう。
生きている人間に確かに読まれているという快感か、
それとも気持ちの悪い己を言葉に書き出しているという一種の自傷行為か、
誰かが自分の時間を割いてこのページを読み込んでいるという得体の知れなさか、
そのどれもか。とても、こわい。
特定のひとりに送る文だって緊張するのに、私はいま、何をやっているんだ。
書いた作文を、全校生徒の前で読み上げること。
学校で授業の感想を書いたプリントを先生に提出すること。
小論文を書くこと。
LINEひとつ、送信すること。既読がつくこと、つかないこと。
あぁ、こわい。
どうせ、誰も校長先生の話なんて聞いてないのにね。
人は、言葉を誰かに発しながら生きている。
私の嫌いな言葉、「どうせ」。
私はいま、自分自身の核に迫るブログ、と言ったら大袈裟だが、そのようなものを書いている。
これが、かなり難しい。
私がなぜ生きているのかという話だから。
振り返るには浅い人生(加藤シゲアキ・世界)なのにね。
何やってんだか。
私が脳内露出狂になるには、まだまだ時間が必要らしい。
ベッドから視界に入る本棚には、たくさんの人の名前が並んでいる。
この人たちは、すごいな。
これを公開すると、名も知らぬ誰かに気持ち悪さを感じさせてしまうかもしれないし、誰かから共感を得られるかもしれない。
わからない。
⭐をつけて貰えるのは、うれしい。とても。
誰かに届いたのだと、確信できるから。
まさしく「消えそうな勇気を今持ってる」のだけど、
この こわさ を忘れたくはないなと思う。
そして、この こわさ を抱いたまま、次のブログを完成させたいなと思う。